ショートカットが過ぎるような気がしたので思ったことを書きちらす

id:pocketberserker の記事(TDDの前方依存と後方依存 - pocketberserkerの爆走)を読んで思ったこと。

前方依存のこれは言語化しづらいところをまるっと含んでるし、後方依存の前にみんなここで引っかかってるんじゃないかな、と。

・対象言語でのきれいなコード、設計とは何かを知って

きれいなコード

TDDBC に参加して同じお題の他の人のコードを読みました。
その後はどうしてる?
家で自分の尊敬する人のアプリケーションとかライブラリのコードを読んだり、仕事場で同僚のコードを読んだりしてるのかな。
家族の相手や自分の勉強をしたり、自分のタスクをこなすのに忙しくて、できないケースのほうが多いんじゃないかと邪推。


一人で継続して何かを続けるのには努力の才能が必要で、それは結構希少価値だと思います。
非日常の場だからこそ、普段フォーカスしないところに集中できてるんじゃないかと。



きれいな設計

TDDBC のようにお題があって、それを担保するテストを書こうとがんばるのは大事なこと。
でも、クラスでも関数でも設計のことを考えてるのかな。
リファクタリングすればいい」って言葉に依存して、おざなりになってるんじゃないかな。
土台がぼろぼろだとどうしようも無くってリストラクチャリングになってしまうよね…


テストが駆動するから設計を考えなくてもいいなんてことはまったくの誤解で、シンプルな設計を元にしてそれを漸進的に成長させるためにテストを書くんだよね。