成果物の評価を公開するということ


わからないということをわかるや、全く駄目な成果物と人格否定についてを読んだ。


人格否定されている感じになるのは、成果物じゃなくてそれを生み出すプロセスを否定されている(と受け取った or 受け取られるようなやりとりがあった)ときだと思う。


自分でもよく、部分的にダメなところがあっただけで、全体に対する評価もダメだと判断してしまうことがある。
つまり、部分を生み出す手順がダメなのだから、それに従って生み出されている他の部分もどうせダメだろうという思い込み。
これでは受け手から人格否定されてると思われても仕方ない。悪い例。


成果物の評価を公開ときは、純粋に成果物だけの評価になるようにしないと、いろんな人の心がざわざわしてしまうので気をつけよう。
注目を浴びたいだけならともかく、成果物をより良くしたいという思いがあるはずなのに、自分の考えを押し付けるだけではただの暴力だ。