利用可能なナレッジは集団としての知性
なんか思いついたので書きなぐり。
「ナレッジ」とか「情報共有」とか言うのは簡単だけど具体的に何を言いたいのかわからないので整理してみました。
まとめ
- 集団としての知性とは利用可能なナレッジそのものです
- ナレッジとは、自分や自分以外の誰かに役立つ情報です
- 情報がナレッジになるのは、「それは誰々さんが知ってるよ」という状態より「ここを見ればわかるよね」が当たり前になることです
- 情報とは、データにその人なりの意見を追加したものです
- データが情報になるのは、「受け取った人によって異なる解釈をする」状態より「誰々さんはそういう解釈をしたのか」が当たり前になることです
データとは、自分や自分以外の誰かが理解した事実や経験した事実です
ナレッジには永続性と検索性が必要です
- 昨日も今日も、明日も参照できるようでないといけない
- 具体的な場所が分からなくてもそれっぽいキーワードで見つけられるようでないといけない
- つまりストック情報
- データには即時性が必要です
- 発生したその場、その時にしか価値がない
- 2週間前に発生したシステムエラーのレポートを今もらっても困る、みたいな
- つまりフロー情報
- 発生したその場、その時にしか価値がない
- 情報はその中間くらい・・・
- 中途半端な位置づけ
蛇足
仕事に限らず個人では達成できない目的をできるだけ効率良く達成するには知性的な行動が欠かせません。(効率を度外視するなら知性は不要です)
「集団に知性がある」とはどういうことか。
すごく単純に言うと「同じ言葉を同じ意味で理解できる」「同じ事実を同じ意味に解釈できる」そんな感じです。
辞書を共有しているようなもので、目的を達成するための条件を設定したり手段を選んだりするのに、最初から遡って理屈を辿る必要がない状態です。
打ち合わせや相談をするとき、相手が伝えたいことを理解する労力を軽減し、建設的な議論を進められるようになります。